Washington, D.C.

Washingtonではアーリントン墓地の駐車場に車を入れて、乗り降り自由のツアー・モービル(観光バス)に乗り、
墓地とD.C.を駆け足で周りました。
さすがにCapital !! 整然としていて重厚な雰囲気の街でした。
ゆったりとした気分で過ごしたかったですが、時間の余裕がなく”焦って周った”と言うのがワシントンの思い出です。

 Arlington National Cemetery
 墓地内で最初に案内されたのはジョン・F・ケネディーのお墓です。左の写真の如くD.C.を見渡せる一等地に有ります。ここで驚いたのは、ジャクリーヌ・オナシス・ケネディも一緒に埋葬されていた事。離婚したのではないので遺族の強い希望が叶ったのだそうですが、さすがのアメリカン達もこのニュースを聞いた時は驚いたそうです。
 そして次のハイライトは「Tomb of the Unknown Soldiers 無名戦士の墓」。ここに葬られている約7700人の殆どが南北戦争の戦死者だそうです。ちょうど”Ladies & Gentleman ! ”から粛々と始まる衛兵の交代式の時間(夏季は30分毎)でした。カーペットの上に立ち儀式を執り行っているのが上官、写真中央の白人兵士から後向きの黒人兵士へ交代しました。
 無名戦士のお墓のそばには、この年の3月Colombia Tragedyで犠牲となった宇宙飛行士たちの慰霊塔が既に出来ていました。
 お墓参りをしているアメリカンの姿(写真右)です。大きなパラソルを広げて携帯用の椅子に座り、まるでピクニックにでも来たみたいで、そのうちお弁当でも広げるのではないか・・・?と思えました。バスから手を振った人に手を振り返したりして、なんとも明るいお墓参りです。 
Lincoln Memorial
 D.C.側を走るツアー・モービルに乗り換え、最初の停留所はArington Memorial Br.を渡った目の前にあるLincoln Memorialです。ギリシャ神殿風の建物の中には大理石のリンカーンの坐像があります。この坐像の向かって左(右半身)は私人、左半身は公人としてのリンカーンを表しているのだそうです。確かに手をしっかり握り足を地にピッタリつけ決意の強さがみなぎる公人としてのりンカーンの左半身に比べ、私人としてのリンカーンの方は洋服も皺が多く髪も乱れがち、足も半分しか付いておらず少々だらしがない感じがします。とここまでは、旅行客に説明をしていた日本人ガイドの話の受け売りです。リンカーンの後に彫られているのは顕彰の辞ですが、IN THIS TEMPLEで始まるところを見ると、ここは記念堂と言うよりもリンカーン神殿と言うべきかも知れません。
 
次はWashington Monumentだったのですが、入場待ちの長蛇の列を見てパスし、スミソニアン博物館群へ。ここで又ドジ!Smithonian Castle Information Center(左)に入り「スミソニアン博物館は何処ですか?」と、馬鹿な質問。笑いながら「ここの博物館全部がそうですが、何を観たいの?」と訊かれ、主人は「the Enola Gay」私は「大きな像の剥製」(中央)と答えました。エノラゲイはD.C.郊外の博物館に移され当時は展示されていなかったので諦め、National Museum of Natural Historyへ。駆け足で1Fの『化石・恐竜・氷河時代』のみを見学し(左の写真は亀の先祖)博物館を後にしました。

 
 The White House
 Sep. 11th以降テロを警戒して1年以上見学出来なかったWhite Houseですが、又一般公開を始めたと言うニュースを聞き、参加するつもりで張り切って行きました。が、結局見学する為には前もって審査を受け、許可を得た人だけが予約出来るシステムだったのです。考えてみれば当然の事で、それでもこの時期に、ごく一部の人だけにでも、大統領の住まいを一般公開する度胸は大したものです。
 柵越しに広ーい芝生のエントランスの向こうに見える噴水とWhite Houseを見て、それだけでもここはWashingtonだなぁと満足しました。
ランチは、名前を忘れてしまったこの老舗ホテルのCAFEでサンドイッチを。
さすがCapitalの味は洗練されていて美味でした。
The Capitol Union Station
Library of Congress U.S. Holocaust Memorial Museum
ナチスによるユダヤ人大虐殺に関する博物館の裏側
Potomac ParkにてWashington Cannelに映るWashington Monumentと桜並木   tour mobil Potomac River from overlook on G.Washington Mem. PKWY

最後に Marine Corps War Memorial (Iwo Jima Statue 硫黄島戦士彫像)を見学したかったのですが
アーリントン墓地から歩いて行かずに車で行ったのが間違いの基でした。
駐車する場所がろくになく、周りを2周し遠目に像を見て諦めました。
でもアメリカンと並んでこの像を見学するのはちょっと勇気が要りそうです。
そしてこの日は夕方からPE..州の北西部にある Pittsburgh まで移動すると言うかなりの強行軍。
Exp.76は工事中で、有料道路なのにも拘らず、またアメリカの高速道路にしては珍しく
狭くてガタガタの走りにくい道路で「これではまるで日本並みだ!」とブーブー文句を言いながら走り
目的地の Pittsburgh に着いた時にはヘトヘトでした。


Pittsburgh,PA.
 この旅の最後の1日はPittsburghのdowntown見学から始まりました。
前の晩は郊外のInnに宿泊、このInnで朝食の時に見かけた白人一家の印象が深く残っています。感じの良い若夫婦と子供が4.5人。最近アメリカでは白人の出生率が上がっていると言う話が肯けます。父親も大いに子育てに協力的で良い家庭だなぁ!と思いました。チェック・アウトする時にたまたまエレベーターで父親と一緒になり、「何処へ行って来たのか?」と訊かれ、「アウター・バンクス」と答えると羨ましがられましたが、「これからシカゴへ帰るのだ」と言うと、「Oh! I'm sorry・・・」との返事が返って来たのには驚きました。自分達はこれからヴァケーションを楽しむのでしょう。ヴァケーションは格別なことのアメリカ人がお楽しみの終った我々を気遣ってくれたのだと思います。こんなささやかな人とのふれ合いも、旅の一つの楽しみです。
 さて、PittsburghはPE.州ではPhiladelphiaに次ぐ第2の都市です。昔は鉄鋼や自動車産業で栄えたところですが、今は沈滞気味の様に見受けられました。でも1800年前後に完成した建物がまだ現役で残っていたり、石畳の道路が有ったらりして、独特な趣きのある街です。downtownは、Allegheny Riv. と Monongahela Riv. の二つの川が合流してOhio Rivとなる三角地帯にあります。その先端のところにあるPoint State Park(左)に行きたかったのですが、どうしても行き着かず、結局 Allegheny Riv.の対岸から眺めるだけになってしまいました。鉄橋の下に写っている森や噴水が公園、その右側にOhio Riv.と名を変えた川が見えます。右の写真は同じ場所から写したPittsburghDowntownです。
 この最後の日も再び強行軍となり、約800キロの道のりを午後から只ひたすら走り、夜遅くにシカゴに帰り着きました。


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