Ohio scenic route
 翌日LexingtonからEx.64を西へ。しかし雨が激しくなりKY.の州都Frankfortまで行ったところでまた東へとUターン、まさに右往左往の状態です。今度は主人の気まぐれでKY.州、OH.州、W.V.州、三州の州境近くにある鉄鋼の町Huntington,W.V.でEx.64を降り、Ohio川沿いのscenic routeを辿ってGallipolis,OH.まで北上しました。
 このルートで印象に残っているのは、景色よりも葬列です。アメリカでは州ごとに交通規則が違うのですが、ここオハイオ州では葬列(霊柩車を先頭にfuneralと書かれた旗を車につけていました)に出会ったら対向車は停まって見送らなければならない様で、前の車に続いて停止、ご冥福を祈りつつ過ぎていくのを待ちました。ちなみにイリノイ州では停まる必要はなく「葬列の中に割り込んだりして乱した場合は罰金」と言う規則でした。これを読んだ時に、葬列をどうやって見分けるのか?と首を傾げましたが、近所でハザードランプを点滅させながら粛々と行進している葬列を見て、これならば直に分かる!と納得出来ました。


Glade Springs Resort in Daniels WV.
 GallipolisからHwy.35をEx.64を目指して南下。W.V.の州都Charlestonを横目に見ながら通過すると、64号線は有料道路に変身します。このToll wayの名はなんと!「パール・ハーバーの攻撃に生き残った戦士の為の有料高速道路」。アメリカには有名な政治家の名前を付けた道路は多々ありますが、よりにもよってパール・ハーバー・・・には驚きました。まさか日本人は通行禁止とか?通行料金が高いとか?なんて事は無いわよねぇ・・・と言いつつドライヴし、無事無料区間へと抜けました。
 しかしこの後、またもや暗闇の中すれ違う車も殆どない山の中を彷徨う事になるとは・・・(写真左)。性懲りも無くガイドブックに書いてあるBet & Breackfastが良さそうだから泊ってみたいと言い出した主人、Ex.64を下りHwy.3を元来た方向へ。地図には太字で書いてあるにも拘らず寂れたHintonという街を過ぎたら殆ど集落が無いこのHwy.3とHintonの名は頭にしっかりinputされました(寝言に言うぐらいですから)。心細さもピークに達した頃、小さな小さな集落がありGSにいたお客さん達に聞いたところ、たった一人そのB&Bを知っている人がいて、この先1持間は掛かるし、暗闇の中を街道を外れた宿を道を知らない者が探し当てられるはずが無い、危険だから止めるように と諭されました。諦めたは良いけれど、宿が無い事には変わりなく、ひたすらHwy.3を進み、ようやくDanielという賑やかな街に出ました。ここで Glade Springs Resort に宿を取ることが出来た時の安堵感は、表現の仕様がありません。
 Resortと言うのは広大な敷地にホテル・別荘・貸しロッジ・レストランなどの宿泊施設に、ゴルフ場・テニスコートなどのレジャー施設が完備されているところを言うのだそうで、休暇は徹底して楽しむアメリカならではの豊かさを満喫できる施設だと、感心しました。このGladeSprings Resortはまだ未完成の新しいリゾートでしたが、それでもこのような施設を全く知らなかった私の目を十分楽しませてくれましたし、シーズン・オフだった為宿泊費が破格の安さで久しぶりにまともな部屋に泊れて、疲れも少しは吹きとんだ感じがしました。
 このリゾートの売りの一つはレストランで、腕の良い中国系のアメリカンのコックさんはテレビや新聞などに紹介されたことのある人です。私達が宿泊の手続きを終えた9時は、レストランのラスト・オーダーの時間だったのですが、親切にもお食事をさせて貰える事が出来、これまた久しぶりに美味しいお食事を摂ることが出来ました。レストランの入り口で人懐っこいアメリカン小母さんに「今日のコースはこーーんなに厚いステーキよ!絶対にお勧め!」などと手振り身振りで話しかけられ苦笑。翌朝リゾートの中を散歩していたら、この小母さんが隣のロッジから出てきて愛想良く手を振ってくれました。この様に差別せずにフレンドリーな態度で接してくれる人との出会いは、旅の良い思い出になります。 


Exibition Coal Mine,Beckley WV.
 Danielsからほど近いところにあるBeckleyは、炭鉱の町でした。地下300mまで掘り進んだところで閉山した炭鉱を、町が買い取り観光施設として公開しています。石炭を運んだトロッコに乗せられ、炭鉱の中へ。300m下の炭鉱跡が見れると思い込んでいたのですが、入り口近くでトロッコはストップし、寒さに震え上がりながら、石炭みたいな顔の(失礼!)小父さんの説明を聞きました。ここでの労働力も当然奴隷として売られてきた黒人達で、如何に過酷な状況だったかが、英語は分からなくてもそれなりに想像出来ました。


 Hwy.3 → Hwy.12
 炭鉱のそばのW.V.物産館”Tamarack”を覗き、またもや高速道路には入らず、Hwy.3を東へ戻りました。明るい時にみても暗い雰囲気の所だと思いながら、長雨で増水している川沿いのHwy.12に入りました。写真左より New RiverHinton銀行(人っ子一人通っていませんでした)、Greenbrier Valley(下をトンネルが通る小山から撮ったふもとの景色。ここにはトンネル工事に携わり事故で犠牲になった人たちの碑が建っていました。線路の見える風景はアメリカンにとって格別な思いがあるようです)、Greenbrier RiverGrand Hotelin Pence Springs(ホテル→州立女子刑務所→ホテルと変った経歴を持つ建物です。ホテルは営業中のはずなのですが、全く人気を感じませんでした。)


Greenbrier Resort in White Sulphur Springs, WV.                     
 ヨーロッパでも有名なアメリカで最大かつ最高級のリゾートです。どれくらい高級かと言うと、近くに自家用飛行
機で来るお客様の為の専用飛行場があるほどです。

 1778年に温泉が発見され1800年代にリゾートが開業しました。ゴージャスな施設ですが、第二次世界大戦中
は陸軍病院として使われたそうです。そしてここの地下には米ソの冷戦時代に作られた核の避難シェルターがあ
ることでも有名です。アイゼンハワー大統領の政権下で計画され作られたこのシェルターは、32年間ごく少人数
のWhite Houseのメンバーのみが知っている極秘の設備だったのですが、冷戦終結後の1992年にワシントン・ポ
スト紙がその存在をすっぱ抜き、一般の人たちに知られるようになりました。今では週に何回か見学ツアーが催
され、25tの厚くて重いスチールの扉の奥にある会議室や寝室などを見ることが出来るそうです。日にちが合え
ば是非そのツアーには参加したかったです。

 一応宿泊可能かどうかをフロントに問い合わせに主人が行きました。ホテル代はシーズン・オフだった為1泊2
食付でお一人様$260(アメリカのホテルで一人ずつの料金制で2食付きは珍しい)と破格でしたが、wifeと相談してくると言って主人は逃げ
出してきました。その間に撮ったこの写真がグリーンブライアー・リゾートに立ち寄った唯一の記念です。シカゴに帰ってからSALLYさんに
話したところ「アメリカ人なら1度は泊りに行く所なのに・・・」と言われ、やはり惜しい事をしたとちょっと思いました。でも、Greenbrier  
Resortの存在すら知らなかった私達は、フォーマルな服装の用意を始めなんの準備もして行きませんでしたので、宿泊せず退散して来て
正解です。ボーイさん達が運んでいるお客様のスーツケース一つとってもブランド物の高級品ばかり。ここは気まぐれに泊りに来る所では
ありません。次回(があるのならば)はそれなりの支度をして行きましょう!