Abraham Lincoln Birthplace National Histric Site                                      
 Abraham Lincoln Boyhood Home
 第16代大統領 Lincoln が子供の頃の住んでいた農場の跡です。Boardstown からTE.州の州都 Nashville へ向かおうとHwy31Eをドライブしている途中で見つけました。私達にとっては偶然でしたがちゃんと地図にも載っているれっきとした国立の歴史的保存地区なのです。Knob Creek にあるこの cabin は凄く古そうに見えたのですが、Lincoln が住んでいた家では無く再建されたものです。Lincoln が1811年2歳の時に両親が入植、弟のThomas が原因不明の病気で早世した事をきっかけにインディアナ州へ転居するまでの5年間をここに過ごしました。 Lincoln の一番幼い頃の記憶はこのKnob Creek に住んでいた時の事だと後に語ったそうです。2マイル程離れた所に初めて通った小学校があったそうですが、それが現存しているのかどうかは分かりません。 
 しかし Lincoln 大統領がKE.のこの辺りの出身だったとは驚きです。KE.州は南軍に属していましたので、北軍の Lincoln は自分の出生地の軍と戦ったのですね。Chicago が有る IL.州の愛称は Linkouln Land、その謂れは彼はIL.州で政治家としてのスタートを切り、州都の Springlfiels で法律事務所を開業していた事など、社会人となってからの Lincoln とIL.州は関わり合いが深いからです。                          
Abraham Lincoln Birthplace
 1809年2月12日 Lincoln はこの Memorial Buildings(写真左)の中にある小さなログ・キャビンで産声を上げました。ここは大統領の父が経営していた Sinking SpringFarm と呼ばれていた農場で、10マイルほど離れた KnobCreek に引っ越すまでの2年間を過ごしました。MemorialBuildings の脇には Sinking Spring (写真中央)がありました。今は石が敷かれていて整備されていますが、昔は洞窟の中に泉が湧いていると言う程度の井戸だったようです。
 Memorial Buildings を包む森にはBoundary Oak と言う名の trail が敷かれています(写真右)。この名は1本の古木に由来します。当時農場周辺はインディアンが牧草地にする為火を点けて一面焼け野原だったのですが、そんな中で Lincoln 一家が過ごしたキャビンのそばに生えてきた1本の oak が大木に育ち、それがあたかも Lincoln の大成と重なるように思われたからだそうです。尤も1976年にはその古木も枯れてしまったそうですが。



Nasheville,TE..                                                                                      








 Nasheville はテネシー州の州都です。テネシー州はカントリー・ミュージックのメッカとして名高く、またエルビス・プレスリーがテネシー州最大の都市Memphisに住んでいた事もあって、Nashevilleには音楽が溢れている都市でした。
1と2 ホテルの窓から見えたdowntownの夜景を翌朝見てみたらこんなでした。
3 Downtown PresbyterianChurch
4 Tennessee State Capitol 日曜日だったので中に入って見学出来なかったのは残念でした。

5 裁判所 テネシー州での刑事裁判は判決が厳しい事で有名です。少年にも死刑を言い渡す事が可能な州法なので、2002年に全米を震撼させたスナイパー事件の裁判はこの州から始まりました。
6 Crowne Plaza  Downtwnにあるホテルです。写真は建物の裏側ですがこのコーナーの立て札には、テネシー州が女性参政権を認める憲法修正第19条の最終批准に必要な36番目の決定的な採決を下すことになった投票が行われた歴史的意義の深い建物である事が記されています。 
7 Beer Sellar  ただのビアホールなのですが、凄くたくさんの種類の生ビールがある事に感激して記念に1枚!
8 Cat Fish  鯰のモニュメントです。Nashvilleではどこに行っても鯰!鯰!で愛嬌のたっぷりの鯰sとお目にかかりました。Chicagoと言えば牛と言うように、Nashevilleの象徴なのかも知れません。南部に来ると鯰料理がメニューに載っていますが、どうもこればかりは・・・。
Vanderbilt University                                          


 鉄道王 Vanderbilt さんの一族の人が創立した大学です。
私達が見学に訪れたこの日はたまたま入学式の前日でした。一家総出で新入学する子供を送ってくる家族の姿はいかにもアメリカ的!でも新入生を歓迎してサークルへの勧誘活動をしている上級生の姿は世界万国共通の様でした。
 写真は正門前に立っている創立者のVanderbiltさんの像です。このキャンパスの中に現存している一番古い建物は1873年に建てられたものだそうです。


Land Between The Lakes                                                                              
 いよいよ帰路に着くことになりました。旅先から帰る時に後ろ髪を惹かれる思いがするのは毎度の事ですが、今回は最後の旅と言う事も手伝ってそんな気持ちも一入です。NashevilleからはExp.65を北上するのが最短距離なのですが、行きとは違う道を通って帰りたいと思い、Exp.24からExp.57へと進むことにしました。
 途中Exp.24を下りLand Between The Lakesに寄り道。TE.州とKE.州にまたがるNational Recreation Area です。Lakesとは言っても正体はRiversでこの辺りだけ何故か川幅が広いのです。東側は Lake Barkley (CumberlandRiver 写真左) 西側は Kentucky Lake (Tennessee River 中央) と呼ばれています。この2本の川は南から北へと流れて来て、IL.州とKE.州の州境を流れるOhio River に流れ込み、更に Mississippi River と合流して南下、メキシコ湾へ向かって流れて行きます。川の如く静かにゆったりと時間が流れているところでした。
 が、ただ一つ The Elk & Bison Prairie (右)にはブーイング!でした。約3平方km程の土地を野生のElkやBisonの保護の為に囲ってありますが、入場料を払えば車で一周しながら動物を観察出来るのです。しかし後から聞いたところによると、夏は滅多に動物は車道近くまで出てくる事が無いそうで、それが分かっていながら入場コインを売っている visiter center には厭きれてしましました。尤もそう言う事を知らなかった私達が馬鹿だったのでしょうし、野生動物保護の為に寄付をしたと思えば良いのですが。  


Tennessee Valley Authority                                                                              
 Land Between The Lakes を北へ抜けるとケンタッキー・ダム 水力発電所がありました。Tennessee Valley Authority (テネシー川流域開発公社)の設立等一連の公共投資は、世界大恐慌時にルーズベルト大統領が経済の巻き返しのためにとったニューディール政策の中心となった公共事業です。高校の社会の教科書に載っていたと言って、主人は非常に感激して見学していましたが、私はニューディール政策の名前はかすかに記憶しているものの、TVAと言うのは全く知りませんで・・・。
 色々な役割を担って出来たダムですが、約70年が経過した現在では発電の主流は原子力発電に移行しているようです。 



 ケンタッキー・ダムを後にしたのはもう夕方5時近く、600km以上も離れたシカゴまで帰らねばなりません。
IL..州に入り Exp.24 から Exp.57 に乗りました。IL..州と言えば大平原ばかりと思っていたのですが、以外にも南
の方は写真の様な岩肌の崖を道路の両方側に見ながらのドライブでした。こういう岩はKE..州に特有のものと言
うイメージを持っていたので、IL.州の新しい表情を発見したような気持ちになりましたが、考えてみればKE..州と
繋がっているのですから当然なのですね。