2008年11月19日

 旧朝倉家住宅                                                 

 旧朝倉家住宅は、渋谷区猿楽町の南西斜面を利用して東京府議会議長や渋谷区議会議長を務めた朝倉虎治郎によって、大正8年(1919)に建てられました。今はヒルサイドテラスを含めた代官山一帯の大地主さんのご先祖が建てられた旧お屋敷 と言った方が分かりやすいかも知れません。平成16年に宅地の北側に建つ主屋と、西にある土蔵が国の重要文化財に指定されている旧朝倉家住宅は、戦後社団法人中央馬事会へ売却された後、農林水産省・経済企画庁の渋谷会議所を経て、渋谷区立の施設として2008年春から一般公開されるようになりました。
 地域の情報誌を読んでこの住宅の存在を知った時には、賑やかな代官山の街のすぐ裏手に?と俄には信じがたかったのですが、まだちょっと紅葉には早い初秋の1日に行って来ました。とてもお掃除が行き届いた住宅です。お掃除をされていた小父さんとお話が出来たので色々教えて頂きました。この住宅の管理に携わっていられる事を誇りに思われている事がひしひしと伝わって来て、そんな方々に大事に見守られているこの住宅は、幸せだなぁとほのぼのとした気分になれたのが、良い思い出になりました。

 



←敷地の東には附属屋(車庫)があり、これは車が普及し始めた頃の車庫の仕様を良く示している建物だそうです。旧朝倉家住宅には大正8 年の建設当初から車庫がありましたが、管理棟として改造されてしまっていたので、痕跡調査によって創建当初の車庫の姿に復原されました。なお、庭門や附属屋の様な構造物を、附(つけたり)と言うのだそうです。             木製レール→
 日本での建築は、障子戸からガラス戸へと変化するに伴って、敷居の代わりに鉄のレールの上を戸が行き来するようになりましたが、旧朝倉家住宅のガラス戸は足元が鉄ではなくて堅木(かたぎ)のレールになっています。この木製レール、金属に見えるほどピカピカに磨かれています。


杉の間

 一階の南側には杉材を使って建てられている杉の間と呼ばれる御座敷3間があります。正式の接待を行う部屋の意匠は書院風にするのが習わしでしたので、東側の角の一間は書院風なのですが、奥の二間はくだけた意匠をもつ数奇屋風の座敷としています。特に南の部屋は、あらゆる杉材の木目を「板目」→で見せる一風変わったものです。他の部屋は←柾目(幹の中心を通って縦に裁断した板で、縦に真直ぐに平行に木目が通っている)の板で造られ、この板でさえ1本の木から一枚しか取れないので十分に贅沢なのですが、この部屋では徹底的に木材の繊維に対して斜めに裁断した「板目」材を使っています。これだけの質の良い「板目」材を揃える事が出来たのは、相当な財力があったと推察できます。朝倉虎治郎が材木店で働いた経験を生かした贅と趣向を凝らした一部屋です。
意匠を凝らした欄間や襖、板戸の絵画など

西渋谷大地の崖線と言う地形を利用した回遊式庭園



walking top お屋敷・建物 探訪  top