2008年3月27日
 浜離宮恩賜庭園から隅田川をクルーズしながら遡り浅草まで いつもと違う盛りだくさんの趣向でお花見を楽しみました。



            
 浜離宮恩賜庭園
 1654年に四代将軍徳川家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が別邸を建てたのが始まりです。その後 家宣が六代将軍になったのを機に徳川将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになりました。そして十一代将軍の家斉の時代に現在の姿の庭園が完成しました。明治維新後は皇室の所有となって「浜離宮」と名称が変りましたが、「大手門」や「将軍の上がり場」など、徳川将軍の別邸だった頃の縁が偲ばれます。                        

大手門

将軍お上がり場
 
 浜離宮の桜は遅咲きの種類が多いのでしょうか?近隣の桜は満開なのですが、見頃はまだこれから…のものが多く、またライトアップも4月初旬に予定されていました。

潮入の池と桜
潮入の池は、海水を引き入れて潮の干満によって池の趣を変える様式の池で、江戸の庭園で都内に現存する唯一の潮入の池がこの浜離宮の池です。
 また、写真の左下の方に小さく写っているのが中島の御茶屋で、池の真ん中に庭園の眺望を堪能するために建てられた休憩所です。

汐留の高層ビル群をバックに

横堀と桜

染井吉野


お花畑で見事に咲き誇る菜の花 秋には黄花コスモスに変るそうです。

大きな大きなタブの木

花が咲いているように見えましたが新芽です




              
 東京水辺ライン

 乗り合いの水上バスに乗って隅田川クルーズをしました。コースは浜離宮の船着場から乗船して東京湾に出て日の出桟橋まで下り、そこで方向転換して隅田川を上って行く隅田川ラインで、45分で浅草に到着します。

浜離宮庭園越しに東京タワーが見えます

かもめ  船を見て、乗船客が撒く餌を
目当てにたくさん寄ってきます。

水門 庭園側から

水門 海側から

レインボー・ブリッジ

勝鬨橋

佃大橋

中央大橋

永代橋

墨田川大橋

清洲橋

新大橋

両国橋

隅田川ギャラリー

蔵前橋

蔵前橋の欄干
 以前は蔵前に国技館がありましたね

厩橋

駒形橋

吾妻橋

言問橋 でUターン

竜馬に乗ってクルーズしました

満員の花見客を載せた屋形船 



 浅草                                                  

墨田公園

染井吉野

大寒桜
 金龍山 浅草寺
 
浅草寺は628年飛鳥時代に隅田川で漁をしていた兄弟の網に掛かった仏像を拝した主人が出家して供養したのが始まりです。都内最古の寺院で、本尊は聖観音像、これは秘仏とされています。元は天台宗のお寺でしたが、第二次世界大戦後に独立して「聖観音宗」の総本山となりました。「浅草の観音様」として広く親しまれている浅草寺は、坂東33箇所観音霊場の13番札所であり、また江戸33箇所観音霊場の1番札所でもあります。
 
 
 雷門

 正式には「風雷神門」といい、門の右に風神、左に雷神が祀られています。いつしか「雷門=神鳴門」とだけ呼ばれるようになりました。人々はこの二神像を風雨の順時と五穀豊穣による天下泰平を司る神として崇めています。

 「雷門」と書かれた大きな提灯の上には「金龍山」の扁額
 提灯を仲見世側から見ると「風雷神門」と書かれています。
 
 伝法院

 浅草寺の総本坊(住職の住まい)で、建物の一部は1777年の建造です。一般には公開されていませんが、4000坪の小堀遠州作の回遊式庭園があるそうです。

 仁王様 阿形

宝蔵門

仁王様 吽形

宝蔵門北側

仁王様の大わらじ
 宝蔵門
 平安中期に建てられた当初は仁王様を納めていたことから、仁王門と呼ばれていましたが、今は浅草寺の宝物の収蔵庫になっているため宝蔵門と呼ばれています。
 宝蔵門北側の仁王様の大わらじは魔除けで「このような大きな草鞋を履く様な者がこの寺を守っているのか!」と魔物が驚いて退散するので、仁王様の力を象徴しているのだそうです。また健脚を祈って触れていく参拝者も多くいます。藁2500kgを使って作られるこの大わらじは、山形県村山市の「奉賛会」から10年ごとに奉納され、架け替えられるそうです。 
五重塔
最上階の五層には
スリランカ伝来の仏舎利が納められている。

本堂