2008年5月22日
深大寺 と 都立神代植物公園
神代植物公園の「春のバラフェスタ」のパンフを見て、これを見逃してはならない!と駆けつけました。と言うのは少々オーバーな表現ですが、でもとにかく見たくて!行きたくて!気持ちが逸った事は確かです。深大寺周辺に行くのは、今を去る事ン十年前に小学校の遠足以来だと思います。
当日は少々汗ばむような陽気でウォーキングには最適な気候でしたので、バックパックを背負いカメラを片手にした中高年の人たちで満杯!私もその一人ですが。深大寺にお参りし、名物のお蕎麦を食べて、植物園でお花を観て歩く、幸せなひと時でした。
地名の「深大寺」と「神代」どうして二種類の字が充てられるのでしょうか?この周辺の現在の住所は調布市深大寺元町です。江戸時代には「深大寺村」と呼ばれていましたが、明治22年に近隣の村々と合併し「神代村」が誕生したそうです。この時に初めて「神代」の字が出現、どう言う理由からだったのでしょうか?
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天台宗別格本山浮岳山昌楽院 深大寺
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谷玄昭著の「住職がつづるとっておき深大寺物語」によると、深大寺という名は水神の深沙大王に由来していて、奈良時代・天平5年(733)に満功上人が法相宗のお寺として開山しました。満功上人の両親の恋を成就させた深沙大王を祀ってあることから、深大寺は縁結びの寺としても有名だそうです。
開かれてのち100年・武蔵国司蔵宗の乱が起こり、その降伏を祈念する為朝廷の命をうけた天台宗の高僧 恵亮和尚が深大寺にその道場をさだめ、これを治めました。この功績により、朝廷が 恵亮和尚に深大寺を与え、天台宗に改宗しました。
別格本山とは、天台宗本山比叡山延暦寺の下に七つの門跡寺院があり、それに次ぐ寺格を持つ天台宗寺院をいうそうです 。平泉の中尊寺 長野の善光寺 と同格です。
本堂→
本尊は阿弥陀如来で、鎌倉時代前期の作といわれています。大正8年再建された本堂は、平成15年に改修されています。 |
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←山門 (薬医門)
1695年(元禄8年)に千人の寄進により普請された境内現存の最古の建物です。
梵鐘・鐘楼→
梵鐘は国の重要文化財に指定されています。現在鐘楼内にあるものは平成13年に新たに鋳造されたもので、1376年鋳造の山城守宗光の銘がある 旧梵鐘は、
都内では三番目に古く、鋳造以来実際に撞き続けられた梵鐘としては最古のものです。
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←常香楼
幕末の大火で焼かれましたが、1833年(天保4年)に建立されました。
おびんずるさん→
おびんずるさんは、インドの僧侶で医学的にも大変優れた力を持ち、大勢の病人を救いました。そこで悪い所を撫でると「病気平癒」の霊験があると古くから言われています。
と言う訳で、このおびんずるさんの像も大勢の参詣者に撫でられ、つるつるで黒光りがしていました。 |
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都立 神代植物公園
昭和36年に、戦前に防空緑地だった神代緑地の残された部分を利用して都立公園として開園しました。現在園内には約4500種類・10万株の植物が、約30の植物園に区割りされて植栽されています。その中でも最大なのがばら園です。スペ−スが限られている他のバラ園では、新しい品種の株の薔薇を植えるためには古い品種の株を処分しなければならないのですが、この園では古い品種の株もそのまま残すので学術的な評価が高く、海外からも優先的に新品種の薔薇が寄贈されて来るそうです。
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神代の森 |
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ばら園
春のバラフェスタ開催中の神代植物公園です。大きな噴水を取り囲むように植栽されていいる薔薇を見に来た人で溢れています。
噴水の向こうに見えるのが大温室ですが、今回は薔薇と芍薬で胸一杯になってしまってPASSし、またの機会の楽しみにしました。
薔薇の写真は ‐ばら園の薔薇のごく一部ですが‐ スライドショーになっています。下の噴水の写真をクリックすると別のwindowが立ち上がりますので、お楽しみ下さい。
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その他のお勧め
「神代花だより」5月号に今月の花として特集されているのは、百合の木です。この木はアメリカ中部原産で、別名ハンテンボク(葉が袢纏に似た形をしているから)又の名をチューリップツリー(花の形より)とも言います。凄く背の高い木で、花を見つけるのも写真を撮るのも大変でした。原産地では60m以上にもなり、原住民がこの木でカヌーを作ったほどだそうです。
その他、武蔵野キスゲはこの武蔵野周辺が原産で自生している植物です。
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ユリノキ 木蓮科 |
武蔵野キスゲ ユリ科 |
大山蓮華 木蓮科 |
朴の木 木蓮科 |
うつぎ(卯の花) ユキノシタ科 |
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