2007/3/1
 水戸偕楽園                                                

   水戸九代目藩主、水戸斉昭(烈公)が自ら造園計画を練り創設した偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つです。偕楽園の名は孟子の「古に人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」と言う一節に由来します。現在百種三千本もの梅が庭園に植えられている事は有名ですが、その他にも 孟宗竹、霧島つつじ、宮城野萩が植えられていますし、桜山の桜も合わせて、一年中目を楽しませてくれる庭園です。
 偕楽園の開園は1842年でそろそろ日本の近海に外国の船が見かけられる様になった頃、そして水戸藩士による桜田門外の変が起きたのは約20年後の1860年。この風雅な庭園は、尊皇攘夷の政治思想の先鋒だった水戸斉昭のもう一つの側面も見せてくれているように思えます。
 水戸在住の伯母を訪ねた機会にちょっとだけ立ち寄ったのですが、このページを作成しながら、碌に下調べもせずに行ったのは失敗だったと反省中です。次の機会にはコースを練って本来の表門である黒門から入りたい線路の反対側の梅林にも足を伸ばしたい、そして出来れば他の名所旧跡にも・・・と思っています。

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白加賀

チャボ冬至

見驚

芳流閣

御所紅

蓮久

佐橋紅

八重寒紅

水心鏡

月宮殿

虎の尾

幸流閣

黒田

鬼桂花

冬至梅

 好文亭

 好文亭の名前は梅の別名 「好文木」に由来しています。当初の建物は昭和20年の空襲により焼失した為、昭和30年から3年間掛かって復元されたのが現在の好文亭です。玄関より左手にある木造2層3階建ての部分が好文亭本体で、太鼓橋廊下で北に繋がっている平屋建てが奥御殿、それらを総称して一般に好文亭と呼ばれています。
 輪違い梅 思いのまま

 この梅は枝によって紅・薄紅・白・絞りなど咲き分けるので、「思いのまま」と名付けられたとの事です。普通は盆栽として愛好されている木で、好文亭の庭にあるこの様な大木は珍しいそうです。

菊の間

桃の間の羽衣の松

つつじの間

松の間

紅葉の間

梅の間

竹の間

萩の間

桜の間
 楽寿楼 

 好文亭の三階部分です。楽寿楼は論語の
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。
知者は楽しみ、仁者は寿し」より命名されました。すなわち「楽」は水「寿」は山を表し、前面の千波湖とはるかに眺められる筑波山の二つの景色が楽しめる楼である事を表しています。
 お膳運搬装置 三階までお膳を持って階段を上らなくても済むように烈公が考案したと伝えられています。

一輪だけ咲いていた二季咲桜 左近の桜 と 好文亭  南崖