2008年10月1日
 巾着田                                                 

 曼珠沙華の里 巾着田です。
池袋から西武線に乗って秩父方面に向かい、最寄駅の高麗駅下車 徒歩10分位で巾着の口の辺りに到着です。
巾着田は、高麗川に囲まれて巾着の様な形をしている事に由来しますが、それはここより北西に位置する日和田山から眺め下ろすと確認出来るそうです。しかし巾着田は俗称、地元の人は川原田と呼んでいるそうです。

 面積約22ヘクタールで昔はそのすべてが水田でしたが、現在ではごく一部を残してほとんどが休耕田となっています。この田が曼珠沙華の里となったきっかけは、長年放置されていた巾着田の利用について議論される中で、平成元年頃に草薮であった河川敷地の草刈りをし始めると、そこに潜む様に生息していた曼珠沙華の花が姿を現したからだそうです。群生の規模が予想外に大きく、その美しさを報道機関等が紹介するようになって、多くの人々の関心を引くようになった事から、現在は市民の憩いの場として、また年々増加する近郊からの行楽客に対応するために整備が行われています。



 月並みな言葉で、「まるで赤いカーペットを敷きつめたよう!」という表現がまさにピッタリの情景でした。実は私、曼珠沙華の花はどことなく不気味な気がしまた寂しい感じもして、好きな花ではなかったのです。今回も正直なところ、行こうか…どうしようか…と散々迷った挙句、お天気次第で…と天に下駄を預けた末の巾着田行きでした。もう一つ迷った理由は、別名「彼岸花」と呼ばれている通り例年秋のお彼岸頃に咲くので、見頃を遠に過ぎていると思ったからです。しかしこれだけの面積に群生していると、場所によって見頃を過ぎた所あり、丁度の所あり…で杞憂に終わりました。
 巾着田周辺に曼珠沙華群生地が形成された理由については、巾着田は高麗川の蛇行により長い年月をかけて巾着の姿を形づくり、その内側に耕地が形成されましたが、河川の増水時等に上流から流れてきた物の中に混じっていた球根が、漂着し根付いて行ったと考えられているようです。現在は、巾着田管理協議会により、曼珠沙華の塊根を掘り起こし、これをほぐして10球から15球を1株として移植することにより群生地の拡大をはかっています。これは、曼珠沙華の発芽率が10〜15球当り1〜2本と低いため、球根を束ねて埋め戻しているもので、100万本以上の曼珠沙華が咲く巾着田の群生地には、その10倍以上の1000万超の球根が息を潜めているのだそうです。なにか物凄いエネルギーがここには潜んでいる様なそんな感じがしたのはそのせいかも知れません。
 そんな訳で、すっかり曼珠沙華の花に魅せられて帰って来ました。



 あいあい橋

 巾着田を囲むように流れる高麗川に掛かる歩行者専用の橋です。橋の長さは91.2mで、木製のトラスト構造の橋としては日本で最長だそうです。
 

 コスモス畑
 
 曼珠沙華の花が高麗川の堤防沿いに群生しているその内側にコスモス畑があります。こちらも見事な咲きっぷり!でした。ちょっと出遅れて10月になってしまいましたが、曼珠沙華とコスモスの両方の花が楽しめて、反って正解だったみたいです。

 実りの秋

 ここは豊かな土地だとつくづく感じています。お米は勿論、栗、蓮根も獲れます。
 豊かな土地だからこそ古くから人が住みつき、石器時代の遺跡も発掘されています。高麗の地名から連想する通り、かつて朝鮮半島北部の高句麗の人々が渡来した地で、高麗神社などの高句麗ゆかりの場所も付近にはたくさん残っています。時間の余裕があったら是非ウォーキングをして回りたい所だったのですが、残念ながら今回はタイムアウト、次回のお楽しみに残しました。
 お土産

もうすぐハロウィンなので、
ハナナスとミニパンプキン
      (全部で300円は安い!)
巾着田の畑で栽培された黒米