2008年5月7日
 清澄庭園                                                 

 GW明けのこの日、牛島の藤を観た帰りに途中下車して清澄庭園に寄りました。
花に関してはあいにく端境期でツツジや藤・牡丹が咲き終わった後芍薬にはまだ早くガッカリしましたが、かいつぶりの巣と卵を見る事が出来たのがラッキー!な出来事でした。





磯渡り

 清澄庭園の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。大名の下屋敷を経て明治11年に岩崎弥太郎が荒廃していたこの地を買い取り庭園を造成、明治の庭園を代表する泉水、築山、枯山水を主体にした回遊式林泉庭園が完成しました。その後庭園は関東大震災で大きな被害を受けましたが、防災機能の観点から翌大正13年東京市に寄付され、整備後昭和7年7月に一般公開、今日に至っています。
 清澄庭園の中心となっている泉水は、三つの中島を配した広い池で、その池に突き出るように建てられた数寄屋造りの建物は涼亭です。池の水面に島や、樹々の緑影、涼亭を映し出すこの池は、昔は隅田川から水を引いていたので潮の干満によって池の景観が微妙に変化したそうです。また、涼亭は明治42年国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたものだそうですが、国賓のために家を建てると言うのはさすが財閥!ですね。

富士山(築山)登山道

 名石  この庭園の見どころの一つは名石です。
    一つずつ産地の札が立てられているたくさんの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものだそうです。

攝津御影(なつめ水鉢) 

伊豆磯石

紀州青石

伊勢御影

伊豆式根石

讃岐御影(山灯篭)

← 芭蕉の句碑(新小松石)
 「古池や かはづ飛び込む 水の音」
1685年春に芭蕉庵で詠まれた最も有名な句を刻んだ石碑は、もとは隅田川の岸辺にあった芭蕉庵にありましたが、護岸工事の時に置き場所がなくなってしまい、ここに移されたものです。
             石仏群(小松石) →
 庚申塔や供養塔が、収められていますが、それぞれ時代の違う石仏が、なぜここに一緒にあるのか、その謂れは分かりません。


 水鳥
 もしかしたらまだ…と淡い期待を抱いていた花が全くアウトでがっかりしていたのですが、「捨てる神あれば拾う神あり」でした。デジカメ片手にブラブラしていた私に声を掛けて下さった地元の方があり、カイツブリの巣に産みたての卵があると教えて下さったのです。慌てて飛んで行くと、教えて頂かなかったら見逃してしまいそうな地味な巣の中央にポツンと白いものが!母親は巣の周りを警戒しながら泳いでいました。この巣は浮いているのではないですよね?あたりの水深はどの位なのか?もしかしたら石の上に作ってあるのかもしれませんが、葉っぱや小枝を集めて作った丹精な巣に感動でした。その方の話では、「先週は5個あった卵がカラスなどの襲撃にあって全滅、でもまた懲りずに同じ巣に卵を産んだ。運が良ければ来週には孵っているかも」と。自然界は厳しいですね。帰りがけにもう一度見に行ったら、ちょうど母親が卵に葉などを蹴って隠しているところでした。誰にも見つからず無事に孵ると良いですが。
 また、もう5月と言うのにまだ居残っている鴨たち。早く帰らなくて良いのかなぁ…と心配でしたが「毎年この時期まで十数羽残るのを残り鴨と言い、、でももうすぐ旅立つから大丈夫!」と伺ってホッとしました。
 ほんのちょっとだけ会話を交わした交流ですが、嬉しいひと時を過ごしました。感謝!

残り鴨 金黒羽白

河鵜

カイツブリ