正庁
藩主が臨席しての文武の試験や儀式などに用いられた場所 |
←床の間の掛け軸に書かれている「尊攘(尊王攘夷)」は、国の存在の根拠としての尊皇(尊王)と、侵略・侵入してくる外国に対抗する攘夷が結びついたもので、天皇を尊び外圧・外敵・外国を撃退しなければ日本の未来はあり得ないという表現です。幕末には各藩や公家または幕府内の過激派の間で熱く論じられた思想で、先導役だった水戸の藩校の正庁にこれ以上相応しいものはないと思われます。 →
藤田東湖の草案に基づき、斉昭公の名で発表された「弘道館記」は、弘道館建学の精神を天下に宣言した碑文です。こちらの床の間に掛けられているのは、現在八卦堂に収められている弘道館記碑の拓本です。 |
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至善堂
正庁の奥には、藩主の休息所であり、諸公子の勉学所であった至善堂が繋がっています。4つの部屋から成り立っていて、どちらかと言うとプライベートな部分です。また至善堂は、15代将軍・徳川慶喜が大政奉還後に謹慎した場所でもあります。現在は水戸藩や弘道館に因むものが、展示されています。
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湯殿 |
弘道館学則の版木 |
版木を印刷した物 |
庭に下りて |
←この扁額は、九代藩主徳川斉昭がご質問の扁額は「藝於游」と書かれており「芸に遊ぶ」と読みます。弘道館を創設した時弘道館における学習態度を簡潔に表したもので、烈公(斉昭)の親筆になるものです。出典は論語で学問に凝り固まらないで悠々楽しみながら勉強するという意味です。ちなみに、「藝」とは論語にいう六芸のことで、礼(礼儀作法)、楽(音楽)、射(弓術)御(馬術)、書(習字)、数(算術)を指しますが、弘道館ではもう少し広く解していたそうです。
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対試場跡 |
梅林
敷地には梅が60種800本植えられていて、偕楽園に並ぶ梅の名所となっています。
ちなみに昭和9年に選定された水戸の六名木は、「月影」「白難波」「烈公梅」「江南所無」「柳川しだれ」「虎の尾」です。 |
座論 |
八重冬至 |
八重寒紅 |
虎の尾 |
緋の司 |
桃園 |
水心鏡 |
香てん梅 |
八重松島 |
臥竜梅(がりょうばい)→
樹形に特徴のある梅です。老成した梅の木は四方に広げた枝を地上に落とし、地面に接したところから根を発生させ新しい株となります。 黒々と節くれだった幹が、うねうねと地に潜っては昇り又潜っては立ち上がる、大地を這い回る龍の壮絶な姿を彷彿とさせることから臥竜梅と呼ばれているそうです。
古木なので名前に反して痛々しいように見えましたが、元気にたくさん蕾をつけていました。 |
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