2010/3/12
 早春を彩る梅の薫り  秋間梅林  「絹の国」群馬の象徴 富岡製糸場

   
 富岡製糸場                                               

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、ユネスコ世界遺産の 文化遺産としての登録を考える文化財です。2007年1月30日に、世界遺産暫定リストに記載され、2010年現在はまだその途上 吉報が待たれる段階にあります。世界遺産への登録は何段階も経る為に、最低5年は掛かるのだそうで、申請して審査されれば即登録されるものと思い込んでいた私には驚きでした。
 当日解説して下さった方から伺った富岡製糸場の概要の中で、私の印象に残った部分と感想を少しここに述べますので、詳細についてはH.P.をご覧ください。
 明治政府が日本の近代化 のために最初に設置した官営模範器械製糸場である富岡製糸場は、明治3年 横浜のフランス商館勤務のポール・ブリュナ(Paul Brunat)らが 武蔵上野信濃の各県 を調査の上、富岡に白羽の矢を立てました。工場建設はブリュナの指導の下 明治4年(1871)から始まり、翌年7月には完成、10月4日に歴史的な 操業が開始されました。富岡製糸場の門を入ると正面に見えるのが東繭倉庫で、その入口のアーチ状のレンガの上には、「明治5年」の文字が刻まれている版が掲げられています。
 生糸の
品質改善生産向上技術指導者育成の見本を示すため、 最新式製糸器械えた模範工場として開業した富岡製糸場には、日本各地から学歴の高い女工さんが集められ、質の高い技術を全国に広める為の教育がなされました。当初はブリュナの住まいであったブリュナ館は、彼が去った明治9年以降、女工さんたちの学習の為の施設になったそうです。また、女工館には医務室があり、医師が常駐していたそうです。製糸工場の女工さんと言えば、「野麦峠」を連想する私、悲劇ばかりではなかった!と初めて知って安堵の気持ちを持ちました。
 煤煙で繭を汚さないように高く建てられた煙突や、工場廃水を流す為の下水施設(今でも一部は使われている)…など、当時としては環境にも配慮した画期的な施設であったそうです。
 日本の期待を背負った国策企業だった製糸工場も、現在では安価な外国製品に押され、純国産品を生産できる製糸工場は国内に2社しかないとの事で、寂しい気がしました。


 
 秋間梅林                                                   

 秋間川の上流の山あいに広がり、35,000本を超える梅の木が約50ヘクタールの斜面に植えられている関東有数の規模を誇る梅林です。50ヘクタールと言っても容易に想像がつかないのですが、麓をグル〜っと車で一周するのに10分以上は掛かる様な山一面の広さと言った感じでしょうか、兎に角広いです。
 憩いの場所とするために造られた庭園とは違い、明治と大正の端境期に梅の果実を実用的に利用する目的で造られたので、単に梅を愛でる場と言うだけではなく生活の場でもあります。地元の方の話では、植えられている梅は殆どが食用(梅干しや梅酒)に加工出来る白梅 特に「白加賀」と言う品種が多いそうです。確かに殆ど白梅ばかりなのですが、頂上には観梅用に(?)紅梅なども植えられています。下の写真の中の枝垂れ梅は、ながめや と言うお茶屋さん自慢の「甘露梅」です。梅の花見の時期には、頂上に10軒程の梅農家が売店や食堂を出していますが、そのうちの1軒の店先に植えられていました。ちょうど見頃でとっても綺麗でした。
 手入れが行き届いるこの梅林も、ご多分に洩れず「高齢化・後継者不足」の問題を抱えているそうで、一部は放置されたままになっている畑もあるそうです。この先どうなるのか、心配です。