卒業旅行
 帰国までの日数のカウントダウンが始まり引越しの荷造りで忙しい最中、
荷造りは一切しない主人の「もう一度KY.州に行きたい!」
「BardstownでFosterの歌に歌われている様な古きよき時代のアメリカ・心のふるさとを味わいたい!」
との思いつきで(単なる我儘と言うべきか?)、卒業旅行に出かけました。
引越し屋さんの話によると、荷物を出した後に旅行に出て、
旅先から日本へ帰国するのが通常のパターンなのだそうですが、
変人我が家は普通などまるで気せず、あくまでマイペースです。
 最初は1泊の予定でBardstownへ向けて出発しましたが、
結局TE..州にも足を伸ばして盛りだくさんの2泊3日の旅となりました。
短い旅でしたが「最後にまたアメリカを満喫した!」との思い出一杯の充実した旅行でした。



Indianapolis IN.

 Exp.65で何度かIndianapolisを通ったのですが、いつも素通りでとうとう一度も高速道路から降りることはありませんでした。
高いビルが見えるこの辺りがdowntownの中心部と思われ通りすがりに高速道路から記念に撮った一枚。


Bardstown, KY.                                                                                            
Thunder Storm
 この日の午後Bardstownの周辺ではThunder Stormが大暴れをしました。黒人の母子が増水した川に流されて命を失ったそうです。私たちは雷には遇いませんでしたが、急に空が暗くなって雹が降り、車のフロントグラスに1p位のヒビが入ってしまいました。(お陰で車を売る約束をしていたフランス人の写真家に代金を$250も値切られて大損!でした。ただでさえ破格の安値だったのに・・・。)そしてBardstownの街に入る手前で落雷により大木が倒れ(写真左の左端)道路を塞いだ為通行不能で大渋滞。でもすぐにこの倒木の向かいのビル裏側の広い駐車場を迂回するルートが作られたのはさすがです。
 Bardstownに入ると街の中が暗く、まだ夕方なのにシャッターを降ろしている店もあり、この街は夜遊びなどしない健康生活の街なのか?と訝りながら予約したホテルに到着したら、ホテルも真っ暗!でした。落雷によりあちらこちらで大木sが倒れて電線を切り、街のいたる所で停電中だったのです。一応チェック・インはしたものの、真っ暗な慣れない部屋で一夜を明かす事に不安になり(しかも通常の宿泊費を支払って!)復旧の見通しを尋ねると、即座に「3時間後」との答えが返って来ました。が、何の根拠もなくただ返事をすればそれで済むと言う如何にもアメリカ的な感じがしてなりません。私たちが納得せずにフロントのカウンター前から動かずにいたら、さすがにフロントのお兄さんも心苦しくなったのか「停電していない地域にあるホテルに空き部屋があるかどうか訊いてあげよう」と言い出しました。右の写真は、電気がつくホテルの最後の一部屋を運良く確保し、移動する途中で見た夕焼けです。
 ホテルに着いてから慌ただしくBarstownに来た第一の目的であるミュージカルを観に劇場まで出掛けました。劇場も停電しているのではないかと不安だったのですが、その地域は無事で公演は予定通り行われました。が、夕食を取る時間がなかったもので、上演中お腹の虫が音楽に合わせて泣きっ放し、0時近くになってようやくマクドナルドを見付けてハンバーガーを買って食べ惨めな思いをした事も、今では楽しい語り草となっています。
 My Old Kentucky Home State Park        

 アメリカの大衆音楽(民謡)の父 ステフェン・コリン・フォスター記念公園と言った内容のケンタッキー州立公園です。PE.州のピッツバーグ出身でBardstownには在住したことが無いフォスターの公園がこの地にある事に疑問を感じましたが、フォスターの従兄妹の家があったこの場所を彼も時には訪れ滞在した事や、1853年35歳の時に作った"My Old Kentucky Home"がここBardstownを歌ったものである事から、この地に公園が出来たものと思われます。
Stephen Foster - The Musical                     フォスターの半生を描いたミュージカルです。毎年6月初旬から8月中旬まで野外の舞台で上演されます。私達が行った2003年は45年目でしたが、そのうちの40年近くこのミュージカルを観に渡米している日本人ファンのご婦人達が上演前に紹介されました。また、Barstownは近くの町から学校の遠足などで訪れるところだそうで、この日は高校生の団体がスクール・バスに乗って観劇に来ていたのも同時に紹介されました。夜分遅い時間の公演に学校の団体が観劇に来るなどまず日本では考えられない事だなァ・・・と日米の差に驚きました。
 さて、ミュージカルは中央の写真の如くフォスターが結婚式を挙げ花嫁と馬車に乗って退場する場面で終りました。劇場から出たところで、目の前の森の中を二人を乗せた馬車が駆け抜けると言うおまけつきで、お洒落な演出に感激しました。ミュージカルはHappy endでしたが、その後のフォスターは出版社からの誘いでN.Y.に在住する事になったものの都会生活に馴染めず、生活のために楽譜を大量に書いて売らざるを得ない事に対するストレスからスランプに陥り収入は激減、妻子とも別居しアル中になるなど心痛の中37年の短い生涯を終えたそうです。フォスターの没年1863年は南北戦争の集結した年でもあります。フォスターの活躍した1800年代半ばのアメリカは黒人奴隷を使っての西部開拓時代、しかしそろそろ人種差別に疑問が呈され始め、そして南北戦争が始まり・・・と言ったた時期でもありました。このようなアメリカの社会情勢とフォスターの生涯とが噛み合って彼の音楽が生まれ愛されていったのだと私なりに思っています。
 フォスターの歌は昔小学校の音楽の教科書にも載っていたので親しみを感じます。このミュージカルは過去に来日公演もあったそうで 、その際のポスターが劇場に貼られていました。フォスターの曲は世界共通の人の心を歌った曲、いつどこで聞いても心に沁みいる曲だと思います。
 Federal Hill
 ファスターの従兄弟の家があった場所で、裁判官をしていた事からこの名で呼ばれていました。
右の写真はFederal Hillの庭にあるフルートを手にしているファスターの像です。裕福な家庭んの第九子として生まれたフォスターは、音楽好きの姉達が弾くピアノやギターに触れ幼少の頃から音楽に親しんでいました。しかし彼が6歳の時に商社を営んでいた父が事業に失敗し、家を追われると同時にピアノもギターも無くなってしまいました。そんな事情の中で母が彼に与えたフルートは生涯の宝物となり、それが音楽家として育てていく事になったのです。

Downtown
St.Joseph Proto Cathedral  
1816年に設立されたカトリック教会です。
フランスの国王から寄贈された絵画のコレクションを所蔵している事で有名な教会だそうですが、キリスト教徒でもない日本人が絵を観に教会を覘くのは気が引けましたので、外側の見学だけで満足する事にしました。この教会に行ったのは翌朝ですが、まだこの辺りは停電中、塔の下にある時計が止まっていたのはきっとそのせいなのでしょう。


Maker's Mark

 Bardstownから北へ20kmほど、Loretto,KY.にあるBourbon Whiskyのメーカー Maker's Markの工場です。Free tourがあり、それに参加すれば工場見学が出来ます。最初にウィスキー醸造の過程をガラス越しに見学した後、熟成中の樽が詰まった倉庫を見学、この樽は年数によって場所を変えられ、ウィスキーは熟成していくのだそうです。そして工場の入り口近くにあったレトロな消防自動車 これは飾り物ではなく 工場内の火事に備えて用意されているもので、立派に働くのだそうです。ウィスキー・ボトルの形にくり貫かれている倉庫の扉やレトロな消防自動車など、実用品にも遊び心を忘れないのがいかにもアメリカ的なお洒落だと感心しました。
 Maker’s Markのウィスキーは世界中に流通しています。帰国後酒屋さんでこのメーカーのウィスキーを見たところ、アルコールの度数も違う製品が現地の価格よりも安く売られていました。日本向けに別に作られた商品なのでしょうね。



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