Washington N.C.
 東西に長いN.C.州の西の端 Ashville から約500キロのりを走り抜け、東の端の方にある Washington N.C. までやって来ました。ここは一応 Histric Town であることが売りなのですが、黒人の人口が多くスラム化しているようで、夜この町に到着した時の印象は「怖い街!」でした。翌朝Histricに敬意を表しdowntownの1795年築の家を撮った写真(左)です。
 Washington N.C.に行ったのは60km先のSwanquarterからフェリーに乗ってOuter Bankksを走る道路・12号線の南の終点のDeracokeへ渡り、そこから観光をしながら北上しようと自分達にとって都合良く考えたからです。事前にフェリーの時刻表や所要時間も調べずに、シーズン中だから大丈夫だろうとタカを括ったのが大間違いの基、そんな計画を立てた私達が馬鹿でした。暢気にWashington を一応見て周り、近くのGoose Creek S.P.を見学してから、名前だけは綺麗な鄙びた漁村Swanquarter(中央)に行ったところ、何と!フェリーは早朝と夕方の2便しかなく、しかも片道4時間も掛かるのだそう。そこより100キロ以上北東に掛かっている橋を渡って行くのが当たり前のコースなのでした。しかも、この漁村にはレストランどころか全く店と言うものが存在せず、一体ここに住んでいる人たちは何処で買い物をするのでしょう?ランチも調達できませんでした。
 お腹は空くし、どこまで行っても湿地帯ですれ違う車も殆ど無い中を不安に駆られながらひた走り、途中”GAS”と手書きの立て札を見て、何かあるかも!と祈りなが右折、出会ったのがこのお店(右)です。近所の人たちの集会場にもなっているこの暗い店で、冷凍のハンバーガーを解凍して貰ってジロジロ見られながら食べ、ようやく人心地着きました。きっとこのお店に入った日本人は私達が最初で最後だと確信出来てしてしまうほどの田舎の集落でした。このお店の前の給油の機械は、ガソリンをどうやって車に入れるのでしょうか?見た事がない骨董品的な機械が置いてありました。今にして思えばそれも写真に撮って来れば良かった!なんて、時間が経つとあれこれ惜かったなぁと思います。



The Outer Banks            
                                          

Manns Harbor から Roanoke Island を経由して Outer Banks の中心部 Nags Head に着きました。
Roanoke Island は北アメリカで一番最初にイギリス人が colony を作って住み着いた場所です。
しかし原住民との間に争いが起こり、最初の住民達は全員行方不明となってしまったと言う悲劇的な結果となりました。
この悲劇を The Lost Colony で紹介しています。 
Outer Banks にはこの他たくさんのみどころがありますが、ここではハイライトを三つに絞ってみました。
                                                      
Wright Brothers National Memorial State Park
 最初に訪ねたのが、Wright兄弟が初飛行に成功した地であるのを記念して作られた州立公園です。Wright兄弟は風の力も利用して舞い上がる飛行機を作ったので、windyな場所を探しました。windyと言えばまずChicagoなのですが、100年前でも既に摩天楼が建っていたので諦め、Outer Banksにある小高い丘Kill Devil Hillsに白羽の矢を立てたのだそうです。何年にも渡って実験を繰り返し、とうとう1903年12月17日 Kill Devil Hillsの記念碑が建つこの場所から 下の広場に向かって飛び、段々距離を延ばして4回目に12秒間で120feetの飛行に成功したそうです。下の広場の歩道には1回から4回目までの着地点が示され、少しずつ距離を伸ばして行った様子が分かります。またWright兄弟が寝泊りしていた小屋が広場の先に見えます。
 2003年は丁度初飛行から100周年に当たり、記念行事も多く訪れる観光客も増えたようです。この時N.C.ではFirst Flyingと、Wright兄弟の出身地であり当時自転車屋さんをして暮らしていたDayton OH.では、First Thinkingと喧伝し合い、どちらも元祖である事を譲らず100周年記念を盛り上げていました。それに加えてブラジルではWright兄弟より早く飛行に成功したと言う殆ど知られていない事実も紹介され、初飛行論争をますますHotなものにしていました。しかし飛行機の歴史はまだ100年余りでしかないと言う事実には驚きます。
 私達は何も知らずにOuter Banksを旅先に選んだのですが、記念すべき年だったと言う偶然に感激しました。
 Sanderling Inn Resort
  Outer Banks の北の方にあるresortです。この辺りはかなり土手(Banks)の幅(東西の距離)が狭いので、sunriseとsunsetの両方が見られます。また本土との距離が近いので、夕陽(左2枚目)はCurrituck Sound(入り江)の水平線と重なる本土に沈むかのように見えました。朝日は大西洋から昇ります。1年中暁を覚えた事がない私としては、早起きをして日の出を見ることが出来たのは、まさに快挙!なのです。private beachに出た時はまだ三日月が出ていました。月が沈んで、日が昇るよりも先に周囲が明るくなる事を知らず、どこに朝日が・・・?と慌てました。蟹ghost crubと戯れながらどの位の時間待ったのでしょうか?朝焼けの中に朝日が昇ってきました。Outer Banksでは蟹だけでなく、小魚の群れを追うペリカン達、それに遅れてやってくるイルカの群れも見られます。豊かな自然を存分に味わい楽しむ事ができるのです。
 またprivate beach(右) ではそれぞれが静かにの〜んびり、骨休めをしています。ただ、日本のように蚊はいないのですが、小蝿が多くとまるとチクチクするので、常に足をバタバタと動かしていなければならなかったのには参りました。ですが、アメリカンはチクチクを感じないのか?蝿が寄らないのか?気にしている様子が全く見られなかったのが未だに不思議です。このbeachで見た光景で、印象に深く残っている事があります。1・2歳くらいの子供を連れた中年の白人夫婦が少し離れた所にいました。何気なく眺めていたら、子供にとっても可愛い水着を着せ、心底子供を慈しんでいる様子が微笑ましい限りでした。その夫婦の年齢は決して若くないように見えましたので、歳を取ってから生まれた子供なので目の中に入れても痛くないのでしょう・・・と思っていました。その後beach~から引き上げて来たところ、私達の向かいの部屋のベランダに出ている子供の水着に見覚えがあり、あぁ先ほどの家族・・と同時に驚いた事に、子供はアジア人(多分中国人)だったのです。中国から養子を迎える話は良く聞きますし、中国人に限らずアメリカでは養子を育てる事は少なくとも日本より日常的な事の様です。開けっ広げで養子である事を隠し立てもしませんし。中国人との養子縁組は様々な問題も有り賛否両論ありますが、あの夫婦を見る限りではこの子供はきっと幸せになるだろう!と思え、ホノボノとした気持ちになりました。
 Fishing
 と言っても、私達は釣りをした訳ではありません。釣り人を観て来ただけなのです。
                                   上段の写真はOuter Banksの中心街Nags Head にある
fishing pierで撮りました。Outer Banks にはこの様なfishing pierが何本も大西洋に突き出していて、思い思いに釣り糸を垂れています。私達は釣り人の様子を見ながらランチをしようと入りました(有料とは知らずに)。丁度そばにいた小父さんが鮫baby(右手の中)を釣上げました。写真を撮らせて!と頼んだら、主人に鮫を持たせてくれましたが、その後すぐに放してやっていました。babyがいると言う事は、親もいるのでしょう、怖いですね。
 そして下段の写真はOregon Inletです。ここは漁港で、右側の建物は市場です。朝早く観光用の乗り合い釣船もここから出航します。また一般のモーターボートもたくさん係留されている港で、丁度FUNTASTIC号がカツオを釣って戻ってきた所でした。
4・5人位で釣ったようですが、こんな小さな船で34尾!と言うのは大漁です。一番大きなサイズのカツオは大人が一人ではよろけて持ち上げられないほど重かったようです。アメリカではカツオは「AHI TUNA」と言って、Sea Food Restaurantで前菜に出されたりもしますが、カツオに限らず生のお魚を食べるのは、一般的な食べ方ではないようです。見物人にお披露目をした後、結局カツオたちはここの市場に引き取られて行きました。日本人だったら、その場で調理してお刺身に舌鼓!何て言う所なのでしょうが、アメリカンは釣る事だけでお楽しみが終るようです。

 Outer Banksには2泊しましたが、この楽園を後にするのは強く後ろ髪を引かれる思いでした。
せめてもう1泊!と言っていたら限が無いのですが・・・。
帰りはもう一本の北側に掛かる橋を通って Point Harbor へ渡りVA.州に向かいました。


Norfolk
 主人の希望でNorfolkの海軍基地へやって来ました。どんなところか一寸雰囲気を味わうだけのつもりで立ち寄ったのですが、基地の中を見学するバスツアーがあると言うので、せっかくですので参加する事になりました。申し込みの時にはパスポートなどで身元確認と手荷物検査をされ、まるで護送車のような窓の開かないバスに乗り込み、指定された場所以外での写真撮影禁止等の注意を受けて、いざ出発!早速写真撮影が許可され当時建造中だった空母ドナルド・レーガン号を撮りました。が、これが唯一の機会でした。その後はこれが海軍基地ツアー?と言う内容で、あれが何州の家、これは何州の…と言う様な按配(各州出身者の集会場にでもなっている家なのか?)、まるで住宅展示場巡りの様でした。張り切ってツアーに参加し、裏切られたみたいな感じがしたのは、勝手に期待を膨らませていたこちらが悪いのでしょう。通訳の主人は隣で船を漕ぎ、言葉が通じない私にはこのツアーに参加している意義が全く分からない状態でした。それでも当時はイラク戦争の真最中、基地の中に入れると言うだけでもアメリカの絶大なる自信を見せつけられた様な気もしましたが。


 12 3  4 5