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 二階堂周辺                                                    2007/11/28

                                                                       
 鎌倉で紅葉を楽しもうとぶらりと出かけました。紅葉するには温かい日が続いたのでまだちょっと、そしてこの日はいつ崩れるかの曇り空と、残念が重なってしまいましたが、それでも風情が十分楽しめるのはさすが古都!だと思いました。
 目的地はアバウトに鎌倉とは決めていたものの、当日行く道々二階堂周辺を散策する事に決めたので下調べもせず、適当に歩いて・撮ってでした。このページを作成するに当たって色々調べ、今更ですがお寺の由縁など様々な事に興味を持ちました。見落としたところも多々有るようですので、勉強し直してまた見学に行きたいと思っています。
 また、鎌倉シニア通信ホームページを参考にさせて頂きました。ありがとうございました。

 
 稲荷山 浄妙寺 臨済宗建長寺派
 このお寺は足利義兼1188年に密教系の寺院として創建し初め極楽寺と称しました。その後建長寺開山蘭溪道隆の弟子月峯了然が住職となってから禅刹に改め、ついで寺名も浄妙寺と改称しました(1257〜59年)。そしてお寺の周りに禅の修業場所として、修行者が集まり生活をするようになって浄妙寺村となりました。
 ところでこの周辺の現在の住所は、鎌倉市浄明寺です。お寺さんは浄妙寺、なのに地名は浄明寺。「妙」と「明」の違いのいきさつは、江戸時代になって、このお寺の中興の祖・足利貞氏の戒名が「浄妙寺殿」であるので、尊敬の念から地名を浄明寺と改められたのだそうです。
 山門をくぐると左手に受付があり、ここでは猫ちゃんたちがお留守番をしていました。参拝者達のアイドルになっているようです。
 石窯ガーデンテラス
              
 浄妙寺の境内の山の上の方には、大正時代に建てられた洋館を改装し、石窯で焼いたパンが楽しめるベーカリー・カフェ&レストラン「石窯ガーデンテラス」
があります。
 お茶やお食事を頂かなくても、脇の売店でパンやお菓子など買う事も出来ますし、テラス前の手入れの行き届いたイングリッシュ・ガーデンを散策する事も出来ます。
「足もとに咲く小さな草花も、このガーデンの大切な一員」と言うこの庭の草花達です。→

 大蔵山 杉本寺 天台宗

 坂東・鎌倉三十三観音霊場第一番
 鎌倉二十四地蔵霊場4番・六場

苔むして磨り減った階段に
長い長い歴史を感じます。
勿論今はこの階段は使用禁止で、
左側に本堂への新しい階段があります。
 平安初期の天平六年(734)に創建された鎌倉最古の寺です。天平三年(731),関東地方を歩いていた行基菩薩が,鎌倉の大蔵山から町を眺め「ここに観音様を置こう」と思い、自ら彫刻した十一面観音像を安置。その後、光明皇后の恩召により、行基が本堂を開創しました。文治5年(1189)11月23日の夜、火災が起こったが本尊3体が大杉の下で火を避けられたので,それにより杉の本の観音と今日まで呼ばれたと「吾妻鏡」は伝えています
 その後,建久2年(1191)に源頼朝が再興し以前の三尊像を内陣に安置し、別に立像7尺の十一面観音像を寄進したそうです。下の写真は杉本寺の側面ですが、本堂の奥・白壁の建物の中にその内陣があります。

 荏柄天神社
 学問の神様 菅原道真を祀る 神社です。福岡の大宰府天満宮・京都の来たの天満宮と共に、日本三天神社と称されています。
                   
 鳥居の前にある伊吹(ビャクシン)→
常緑のはずの伊吹の葉の間に紅葉が…。

 

 鎌倉宮      
 明治天皇が護良親王を祭神として明治2年に創建された神社です。護良親王は、鎌倉幕府打倒に尽力しましたが、後に足利尊氏と反目、足利直義によって東光寺に幽閉され28歳の若さで殺害されました。鎌倉宮は東光寺のあった所で、社殿の裏には幽閉された土牢があるそうです。
 創建当初からのお守りの獅子頭は、護良親王が戦の際に獅子頭のお守りを兜に収めていたのが由縁だそうです。

小賀玉の木の招霊の実
 
天岩戸の前で神楽を舞った時にこの枝を持っていたと伝えられ、鈴状の実を付ける事から、神楽鈴の期限と言われている実です。

                 紅葉
       今回の鎌倉での紅葉見物で
       最も印象的な紅葉の一つです。
              撫で身代わり
 村上義光公は護良親王の忠臣で、吉野城落城の際に護良親王の鎧兜を着て身代わりとなって壮絶な最期を遂げ、その間に護良親王は落ち延びたそうです。これは境内の欅で村上義光公を彫り入魂したもので、自分の悪いところを撫でると身代わりとなって病が癒えるご利益があるそうです。毎日たくさんの人に撫でられて、像は黒光りしていました。
              厄割り石(右)

 初穂料100円で杯を買い、大きく息を吹きかけてから石に投げて割り、厄払いをします。

 巡礼古道
 この古道は昔、観音信仰が盛んだった頃の
「坂東観音霊場・札所33ヶ所の “第1位、杉本寺”から“第2位の岩殿寺”へさらに第3位安養院・第4位長谷寺へとめぐる“観音めぐりの”参道」だそうです。今は宅地開発で分断されてしまいましたが、報国寺の向かいから逗子ハイランドの住宅街の裏手まで。歩いて15分ほどの区間だけ古道が残っていて、観光用に整備されているそうです。「昔」と言うのが一体いつ頃の事なのか分からないのですが、道の脇には「庚申塔」と掘られた石板や磨崖仏などがあり、昔の信仰の旅を偲ぶよすがになっているそうです。


 巡礼古道は旧華頂宮邸の手前に木札が掛けられていたので、ちょっと覗いてみました。岩に根を張る大木や、狭くて苔むした石段などほんのちょっとだけだったのに、タイムスリップした様な不思議な気持ちになりました。今度はここを歩いた古の人達に思いを馳せながら歩いてみたいと思っています。
↓巡礼古道から見た報国寺
 


 旧華頂宮邸   

 昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられた古典的なハーフティンバースタイルの赴きある洋風建築です。現在は鎌倉市が所有し、普段は庭園のみ一般公開していますが、建物の内部も春と秋には見学出来る日があるようです。
 整然とした幾何学的なフランス式庭園には、手入れの行き届いた珍種の薔薇が美しく咲いていました。
 

プレイガール

わらべ歌

万葉
 フランス式庭園の奥にはお茶席でしょうか?和風の建物がありました。
和と洋のコントラストが面白いお屋敷です。

 功臣山
 報国禅寺
 臨済宗建長寺派

 報国寺は、裏手にある孟宗竹の庭が有名です。このお庭に入ると、背筋がシャンと伸びるような、そんな感じがします。奥に進んで目の前に現れた紅葉!竹林の中が薄暗かっただけに、紅葉の色が一層鮮やかに感じられました。ここにはお茶席があり、お抹茶(500円)も頂けます。
 また、本堂の前では三つ葉つつじの紅葉も楽しめました(写真上段右)。何の木なのか分からなかった位、つつじにしては大きな木でした。春には桜と三つ葉つつじの素晴らしい競演が見られるそうです。

↑やぐら
(矢倉・窟)

 やぐらとは広辞苑によれば「岩石に穴を掘って物を貯蔵しておく倉。また墓所、鎌倉付近に多い。」です。
 ここのやぐらには山からおろした足利家時とここで自刃された足利義久の墓が安置されているそうですが、家時と義久の墓がどれかはさだかではないそうです 。

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